ジェシー・プリンツ『はらわたが煮えくりかえる——情動の身体知覚説』第1章レジュメ
源河亨訳。読書会用のメモです。
第1章 導入――情念(passion)の切り分け
情動(emotion)が持つさまざまな要素[p. 1]
- 情動エピソードは様々な構成要素を含む:ex. コンテストで賞を獲って高揚する
- 思考:熱望していた賞を獲った
- 身体変化:口が開く、顔が紅潮する、心臓がドキドキする
- 注意などの心的処理の変化:周囲が輝いて見える、過去の良い記憶の想起、自画自賛
- 意識的な感じ(feeling):天にも昇るような震え
- 以上のエピソードの内のどれが「情動(emotion)」なのか?
- 以上のどれが情動の本質なのか?という問題を「部分の問題」と呼ぶ
さまざまな情動理論[p. 2]
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素朴心理学・日常的な直観:情動とは感じである
- 経験的調査によれば多くの人は情動の構成要素のうち「感じ」を最重視している
- また(感じとしての)情動の結果として身体変化がやってくると考えられている
- ex. 恥ずかしさ→顔の紅潮
- また(感じとしての)情動の結果として身体変化がやってくると考えられている
- 哲学者はバイアスがかかっており「思考」が重要と考えている
- 経験的調査によれば多くの人は情動の構成要素のうち「感じ」を最重視している
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身体感じ説(ジェームズ、ランゲ):情動とは身体変化の感じである
- 鼓動が速まる(身体変化)のを感じずに高揚感(感じ)を得ることはできないので、身体システムの変化は感じに先立つ
- また身体感じ説(somatic feeling theory)は素朴な感じ説を包含している
- 情動が感じであり、それが身体変化によって経験されるのであれば、情動とは身体変化の感じである
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ダマシオはジェームズと少し異なる身体感じ説を唱える:情動とは身体状態への神経反応である
- 違い①:現代における「身体的システム(somatic system)」とは呼吸器系・循環器系・消化器系・筋骨格系・内分泌系を含み、その変化は表情の変化・鼓動の速まり・ホルモンの分泌なども含む
- ダマシオにおける身体変化は、内臓や表情だけでなく、ホルモンレベルの変化など脳における化学的変化も含む
- 違い②:またダマシオは実際の身体変化を経由せず、身体変化に関わる脳部位の活動だけで情動は成立すると考える
- 身体変化をスキップした情動経験を「あたかもループ(As-if loop)」と呼ぶ
- 視覚イメージ(心像のこと?)を形成する際に視覚中枢が活動するように、身体変化をイメージする(imagine)ことで関連する脳領域が活動し、情動が生じ得る
- 違い③:身体変化の感じは意識的な気づき(conscious awareness)を必要としない
- 身体変化に対する非意識的な神経反応も情動に含める
- よってダマシオの説は(意識的な)感じを必要としないため、情動の身体説と呼ぶべき
- 違い①:現代における「身体的システム(somatic system)」とは呼吸器系・循環器系・消化器系・筋骨格系・内分泌系を含み、その変化は表情の変化・鼓動の速まり・ホルモンの分泌なども含む
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- ダーウィンによれば恐怖を感じたとき毛が逆立つのは、有毛哺乳類が危険な状態に毛を逆立てて身体を大きく見せたためである(進化論的説明)
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ダーウィンから、情動を神経反応ではなく身体変化によって傾向づけられる行動だという理論も取り出せる:行動説
- ライル:情動用語が指すのは、内的感じではなく様々な(外的に看取可能な)行動を取る義務や傾向性である
- パニックという情動(?)を経験する=体がこわばったり叫んだりしがちであること
- スキナー:情動とは行動が生じる確率への影響(の一つ)である
- 怒っている人は相手を殴る確率が高く、手助けする確率が低い
- ワトソン:情動は報酬や罰に対する生得的な行動反応である
- 赤ん坊はなでられると喜びを示し、身動きできないと泣く
- ロールズ:行動説と内的状態の説明の折衷説
- 情動は報酬や罰に対する反応かもしれないが、それは内的なものである
- ライル:情動用語が指すのは、内的感じではなく様々な(外的に看取可能な)行動を取る義務や傾向性である
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情動を認知的操作への影響と見なす認知科学者たちの主張
- カテゴリー分け・記憶・注意・推論などの認知的操作は情動と近しい関係を持つ
- 過去の記憶はそのときと同じ情動を持つと思い出しやすい
- ポジティブな情動はステレオタイプの利用を促進する
- ポジティブな情動はクリエイティブな推論を手助けする
- ネガティブな情動は注意の対象を狭めてしまう
- ネガティブな情動は自己をより正確に認識するのを手助けする
- 以上を踏まえ情動を注意・記憶・推論などの能力の変化と見なすのが処理モード説(processing mode theory)である
- カテゴリー分け・記憶・注意・推論などの認知的操作は情動と近しい関係を持つ
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情動の本質は、それに伴う認知(思考)である:認知説
- 例えば「デートに誘われた」という状況には特定の信念や欲求が伴い、それによって情動が影響を受ける
- 危ないストーカーから誘われた→恐怖
- その誘いは冗談だった→怒り
- 自分もデートしたい→喜び
- 情動=思考と考える「純粋な認知説」は古くから哲学者に人気がある
- ヌスバウム:情動とは、出来事を価値づける解釈(「価値付加的な見かけ(value-laden appearance)」)を承認する判断である
- 家族を失う→重大な損失と価値づける
- その上で情動が成立するには、その価値づけを正当化する別のメタ判断が必要ということ
- 家族を失う→重大な損失と価値づける
- 情動には判断(信念)だけではなく、欲求や願望などの認知的状態が必要とする人も居る(ゴードン、ウォルハイム)
- ワーナー:Xがある行為Φを楽しむ ⇔①XがΦする②Φがある性質を持ち、かつΦすることでその性質が生じることを望む③Xはその欲求をそれ自体のために持つとき(①⋏②⋏③)
- しかし~~情動に本当に判断を必要とするかは怪しいし、~~またΦが望ましい性質を持つかどうかは楽しんだ結果としてわかるのであり、逆ではないのではないか
- ワーナー:Xがある行為Φを楽しむ ⇔①XがΦする②Φがある性質を持ち、かつΦすることでその性質が生じることを望む③Xはその欲求をそれ自体のために持つとき(①⋏②⋏③)
- 情動を持つとは解釈することであるとする論者たち
- アーモン-ジョーンズ:対象に情動を持つ=対象が特定の性質を持つと想像する
- 対象を恐れる=対象が危険であると想像(解釈)する
- ロビンソン、ロバーツ:情動は主体の関心や欲求に基づく対象の解釈である
- アーモン-ジョーンズ:対象に情動を持つ=対象が特定の性質を持つと想像する
- 欲求を認知的状態と見なすかどうかは意見が分かれるが、それでも広い意味での認知的状態とするのが一般的である
- 例えば「デートに誘われた」という状況には特定の信念や欲求が伴い、それによって情動が影響を受ける
複合理論[p. 12]
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以上の理論はおおよそ、先に挙げられた情動の諸要素の一つと情動を同一視している
- ただし身体感じ説だけは別:身体感じ説は〈身体的反応+意識の感じ〉の複合理論である
- そのような複数の要素で情動を構成する複合理論は歴史的にも多く見られる
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アリストテレス:情動は感じと欲求の両方が含まれる
- 怒り⇔復讐したいという痛ましい(←感じ)欲求(←認知)
- またアリストテレスは情動には質料(身体)と形相(認知)の双方を必要とすると考えたので、情動の感じ・認知・身体を含めた複合理論を唱えたとも言える
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デカルト:情動経験は身体が行為に備えることの経験である
- 感じに身体が先立つ点でジェームズ-ランゲ説の先駆けだが、情動には認知も含まれると考えた点で異なる
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ヒューム:情動とは意識的な感じに対する二階の感じ(印象)である
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ヒュームの用語法によれば:「情動とは、別の印象(impression)ないし観念(idea)によって引き起こされる二階の印象である」
- 例えば:イノシシに遭遇→イノシシの視覚的イメージとしての印象①を形成→印象①を原因に〈恐れ〉という印象②を形成
- ここで重要なのは情動(印象②)はその原因(印象①)や他のいかなるものをも表象しないということ
📌 この点は情動が対象(の価値)を表象すると考える現代的な理論と対立するということか
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ただしヒュームは情動は、単なる意識的な感じであるだけでなく、行動を強いる力を持つと考えた
- 例えば恐怖は逃げたいという欲求の感じを持つ
- この点でヒュームの説は〈感じ+行動〉説である
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しかもヒュームは情動(印象②)が他の思考を引き起こしたり、それらに引き起こされる必要があると考えた
- 例えば〈誇り〉は「自己についての考えを引き起こす感じ」であり、そこでは自己に関する観念が必要になる
- よってヒュームは感じや行動だけでなく、認知もまた情動に必要としていた
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以上の理論は「純粋でない認知説」とまとめることができる:情動の中心は認知だが、他の要素も関連しているという見解
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心理学者たちは純粋でない認知説の一種の「認知的ラベルづけ説」を支持している
- シャクター&シンガー:情動は身体変化とそれに対する認知的解釈の両方が含まれる
- 身体変化(覚醒状態)→身体変化の解釈(ラベルづけ)→情動
- 鼓動の速まり→高揚していると認知→高揚
- 鼓動の速まり→恐れていると認知→恐怖
- 身体変化(覚醒状態)→身体変化の解釈(ラベルづけ)→情動
- 認知的ラベルづけ説によれば、情動の原因は誤って帰属され得る
- 実験:ビタミンと言ってアドレナリンの注射を打たれた被験者が二つの異なる条件に置かれる
- 不愉快な質問用紙に答え続ける状況
- 仕掛け人が紙飛行機を折ったり、テーブルの上に立ったり、フラフープで遊んでいる状況
- 結果:1の被験者は怒ったりする負の情動反応、2の被験者は楽しんでいる情動反応を見せる
- 考察:身体的状態は同様でもそれにどんなラベルを貼って認知的に解釈するかによって、異なる情動を経験するのではないか
- ラベルづけの際には文脈や背景的知識が用いられている
- 実験:ビタミンと言ってアドレナリンの注射を打たれた被験者が二つの異なる条件に置かれる
- シャクター&シンガー:情動は身体変化とそれに対する認知的解釈の両方が含まれる
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認知的ラベルづけ説は身体反応(自律神経系統の反応)は認知に先立つと考えているが、逆に思考が形成されることで身体反応が生じるという「認知原因説」を唱える心理学者や哲学者も居る
- 代表的な認知原因説が多次元評価説である
多次元評価説[p. 18]
- 評価(appraisal)はマグダ・アーノルドの用語で、「対象が自分に重要な影響を与えると見なすこと」である
- 情動は常に(複数の次元の)評価を含み、それによって個別化される(異なる情動になる)
- 状況が有益が有害か
- 状況に関わる対象が存在するかどうか
- 対象を獲得・回避することが簡単か難しいか
- 例えば「喜び」という情動は1に関して有益、2に関して存在する、3に関して獲得しやすいという評価を下すことで成り立つ
- しかしアーノルドの三次元評価では十分に情動を個別化できないかもしれない(怒りと嫌悪は1,2,3に関して同一の評価を下している:有害、存在、回避困難)
- 情動は常に(複数の次元の)評価を含み、それによって個別化される(異なる情動になる)
- ラザルスは六次元の評価のパラメーターで情動を記述しようとした
- 一次評価:情動的な重要性を決める
- 目標との関連:対象(状況)との関わりが自分の目標に関連するかどうか
- 目標との一致:対象が自分の目標を促進するか(→正の情動)妨害するか(→負の情動)
- 自己との関与タイプ:対象とのかかわりが自分の何に関連するか
- アイデンティティ、道徳的価値、人生の目標など
- 二次評価:主体の対処方針を決める
- 非難か賞賛か:状況との関わりにおいて誰に責任があり、その人を非難・賞賛すべきか
- 対処能力の有無:関わりの結果として生じるものを扱いきれるか
- 将来の見込み:事の成り行きが自分の目標と一致しそうかどうか
- 例:怒り
- 目標との関連:関連する
- 目標との一致:一致しない
- 自己との関与タイプ:自尊心、社会的信頼、アイデンティティ
- 非難・賞賛:誰かが非難されるべき
- 対処能力:攻撃できる
- 将来の見込み:攻撃によってより目標に近づく
- 以上の六次元の評価を「分子評価」と呼び、さらにそれを要約したものを「モル評価」と呼ぶ。後者は「中心関係テーマ(core relational themes)」を表す。
- 中心関係テーマ:怒りだったら「自分に対する侮辱的侵害」、恐怖だったら「身の危険」、悲しみだったら「取り返しのつかない喪失の経験」など
- マーの心的システムの三つのレベルに則れば、モル評価は計算論的なレベル(心が遂行する課題)、分子評価はアルゴリズムレベル(課題を果たすための規則や表象)に当たる
- 一次評価:情動的な重要性を決める
- 多次元評価説は支配的な理論である:情動がランダムな感じではなく、世界と私たちの関係を伝え、それに対する確信を示し、行為の原因となるという直観を反映しているから
- (多次元)評価説がコミットしているのは、①評価が情動に先立ち②評価は認知的であり③評価は多次元であるということ
- 筆者は以下でこれらすべてに反論する
- (多次元)評価説がコミットしているのは、①評価が情動に先立ち②評価は認知的であり③評価は多次元であるということ
部分から多数へ[p. 23]
多数の問題[p. 23]
- 上の多次元評価説は認知的原因説の一種である:認知的評価によって情動が引き起こされると考えるため
- しかし多次元評価説は〈評価=情動〉としているわけではない。あくまで評価は情動の必要条件でしかなく、評価に加えて他の要素も必要となると述べる
- しかしそうすると問題は、情動に含まれる認知以外の要素は何であるかということになる
- ラザルスは生理学的反応(身体反応)や行動傾向を含める
- アーノルドは生理学的反応に加えて感じられる行動傾向を含める
- さらに多くを情動に含める理論家もいる:包括説
- フライダ、エクマン:行動傾向、思考、感じ、身体変化のすべてが必要
- 包括説は情動に関するすべての側面を扱おうとするが、問題はそれではそれらの多数の要素を一つにまとめているものがわからず、情動とは何かがわかりにくい点
- 言い換えれば、それらの多数の要素がなぜ情動となるのに本質的であるかの説明が必要になってしまう
- →これを「多数の問題」(⇔部分の問題)と呼ぶ。
- 多数の問題に答える三つの方向性
- 多機能複合説:情動は単一の状態であるが、その状態は複数の要素に対応する
- ex 身体感じ説:情動が身体変化と感じの複合した「身体反応の感じ」という一つの状態であるとする
- 多要素複合説:情動は複数の状態から構成されたものである
- ex. シャクター&シンガー:情動は身体状態と認知的ラベルという相互に独立した状態を組み合わせたものである
- 必要条件複合説:特定の要素が情動のために必要だが、その要素は情動そのものではない
- ex. 多次元評価説:認知的評価が情動のために必要だが、それは情動そのものではない
- 多機能複合説:情動は単一の状態であるが、その状態は複数の要素に対応する
- 多機能複合説は多数の問題に対して最も明確な答えを出している
- 情動を形作る複数の要素と思われるものは、実は一つの状態の異なる側面に過ぎない
- 一方で多要素複合説や必要条件複合説は、何が複数の要素を一つにまとめているかに対して、評価(ラザルス)や行動傾向(フライダ)など中心として要素をまとめる要素を定めている
- しかしそのような方向性は再び部分の問題を提起する:どれが情動の複数の要素を中心となってまとめているのか?
以降の予告[p. 27]
- 筆者は部分の問題と多数の問題に対する新しい解決方法を提案する
- その際に答える10個の問い(と簡単な答え及び扱う章)は以下のようなものである
- 情動は必ず認知を含むのか?
- →持たない(第2章)
- 情動が何かを表象するなら、何を表象するのか?
- 中心的関係テーマ(第3章)
- 情動は自然種なのか?
- →自然種である(第4章)
- ある種の情動は普遍的なもので、生物学的な基盤を持つのか?
- →生物学的に基本的な情動は核として存在する(第5章)
- 情動は文化的に決定され得るのか?
- →情動は一方で社会構成主義的に構成される(第6章)
- 情動は他の感情的なものとどう関わるのか?
- →気分は情動の下位分類である(第9章)
- →動機づけは情動とは独立の心的状態だが情動は動機を与える(第7章)
- 正の情動と負の情動を分けるのはなにか?
- 意識的な感じでは区別されない(第7章)
- 情動的意識の基礎は何か?
- 情動的意識はその他の意識と統一的に説明できる(第9章)
- 情動は知覚の一種なのか?
- 情動は知覚であり、正確に言えば単なる身体の知覚ではなく、私たちと世界の関係の知覚である(第10章)
- 情動は多くの要素的部分を持つのか?
- 情動は部分の集まりではないという意味で単純だが、複雑な結果と情報処理の役割を持つ(おわりに)
- 情動は必ず認知を含むのか?
- その際に答える10個の問い(と簡単な答え及び扱う章)は以下のようなものである