アリストテレース『詩学』における筋の類型論

1.『詩学』における筋の四類型について

 

 アリストテレース詩学』の第14章では登場人物が「自分が何をするか知っているかどうか」、そして「その行為を実行するかどうか」によって筋を四つに分類している。それらは以下のように分類できる。

 

 

行為

記述の順

優劣

作品例

メーデイア』(エウリーピデース)

 

×

(4)

アンティゴネー』(ソポクレース

×

『オイディプース王』(ソポクレース)『アルクメオーン』(アステュダマース)『傷ついたオデュッセウス』(伝ソポクレース

×

×

クレスポンテース』(エウリーピデース)『タウリケーのイーピゲネイア』(エウリーピデース)『ヘレー』(不明)

 

例えば③の場合であれば、登場人物は自分が何をするのかを知らず、かつその行為を実行する(そしてその後に自分が何を行ったかを「認知」する)。それは『詩学』では2番目に記述され、アリストテレースによれば3番目に優れた筋であり、作例は『メーデイア』ということになる。

 知・無知に関しては、「無知」は正確に言えば人物が何をしようとしているのかを知らずに行為しようとし、行為するまえに「認知(アナグノーリシス)」が起こる(④)か、行為した後に「認知」が起こる(③)ということである。アリストテレースは他の章でも述べている通り、そのような「認知」と「変転(メタボレー)」が悲劇の重要な要素と考えており、それらが起こり得る筋としての「無知」の筋を「知」の筋よりも高く評価しているのだ。

 

2.『タウリケーのイーピゲネイア』について

 

 エウリーピデース作。前410年代の上演とされる。アガメムノーン王の長女であるイーピゲネイアは、父によって生贄に捧げられそうになったところを、女神アルテミスによってタウロイ人の国(タウリケー)に移住させられたという過去を持つ。作品は母殺しによって狂気に取りつかれたアガメムノーン王の息子でありイーピゲネイアの弟であるオレステースが、狂気からの回復のために女神アルテミスの木像を手に入れるためにタウリケーを訪れる所から始まる。タウロイ人の風習によって生贄にされそうになるオレステースと、弟とは知らず彼をアルテミスへの生贄に捧げようとするイーピゲネイアとの姉弟の再会が本作のメインテーマであると言ってよいだろう。

 

3.『詩学』の考察対象となった筋について

 

『イピゲネイア』は1.の分類における④「無知・非行為」の一例である。この作品は『詩学』においては「『タウリケーのイーピゲネイア』において姉が弟を生贄にそなえようとして、それが弟であると認知する」(p.58)筋が言及されている。以下で具体的な箇所を引用しつつ説明する。

詩学』に引用されている箇所からわかるように、この作品においては姉弟がお互いにそれと知らずに出会うことになる。以下は生贄として連れて来られたオレステースとそれを屠る巫女としてのイーピゲネイアが出会う場面である。

 

(イーピゲネイア)いったいあなた方の産みの母はだれ、実の父はどなたです?/また、もしひょっとして姉がいるなら、その人の名は?/こんなに立派な若者二人を奪われては、/その人は兄弟のいない身になりますね。[…]ああ、気の毒な旅の方々、いったいどこから来られたのです?[…]

(オレステース)あなたが何者かは知らないが、女よ、なぜこのことで嘆き、さらには、ぼくたち二人の身にかかわる災いのことで、心を痛めているのか。[…](pp.52-53)

 

 

引用からわかるように、二人はお互いの本来の関係(姉弟)を知らないまま、その時与えられている役割において相対することになる。ここが1.の四分類における「無知」に当たる場面である。

 一方で姉のイーピゲネイアが故郷のアルゴスへ手紙を送ろうとする場面で、まずオレステースがイーピゲネイアを認知する。

 

(イーピゲネイア)アガメムノーンの子オレステースに伝えて下さい。/「この手紙を送るのはアウリスで生贄にされたイーピゲネイア、/そちらの人たちにすればとうに死んでいるのですが、私は生きています。」

(オレステース)その女の人はどこにいるのだ、死んでしまったのがまた生き返ってきたのか?

(イーピゲネイア)あなたの目の前にいるわたしのことです。話の腰を折らないで。[…]

(オレステース)ピュラデース、なんと言えばよいのだ、ぼくたちはどんな事態に直面しているんだ?(pp.77-78)

 

 

ただ生贄としてオレステースが屠られるのが避けられるためには、双方がお互いを認知する必要がある[1]。オレステースは自分が弟であることを示すために、オレステースでしか知り得ないことを次々に述べ、最後に姉の部屋にあったものに関して以下のように述べる。

 

(オレステース)ぼくが自分で見たことでは、これを証拠として挙げましょう。/父の館にあったペロプスの年代ものの槍、/ペロプスがそれを手にして振り回し、オイノマオスを殺して、/ピーサ生まれの乙女、ヒッポダイメアを獲得したという代物です。それが、あなたの暮らしていた乙女部屋にしまってあったのです。

(イーピゲネイア)おお、誰よりも愛しい弟、まちがいない、あなたは愛しい弟だから、/わたしが抱きしめているのはオレステース、あなたね、[故郷のアルゴスを離れてやってきた弟]、おお、愛しい弟!

(オレステース)ぼくの抱きしめているのは、死んだ姉さん、あなたなのですね。死んだと思われていたのに。(pp.82-83)

 

かくして二人の間で認知が為され、イーピゲネイアはオレステースを生贄として殺さずに済むように知恵を巡らせ、そのたくらみは成功するのだ。ここにおいて『イピゲネイア』は1.の分類における「非行為」の一例となっている。

 

4.文献

 

アリストテレース詩学』・ホラーティウス『詩論』松本仁助・岡道男訳(岩波文庫、1997年)

エウリーピデース『タウリケーのイーピゲネイア』久保田忠利訳(岩波文庫、2004年)

 

[1]詩学』の第11章では、二つの認知が必要な例としてこの作品が挙げられている通り。